たった一人の、相続人

70代のご婦人がいる。
彼女とは40年以上も前に知り合った。旧知の間柄である。

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離婚して実家に戻ってきたと聞いていた。
実家では父親が商売をしていたので、その手伝いをし、再婚はしなかった。

今はその父もなくなり、一人暮しである。 

晩年も一人で生きていかなくてはと、自分なりに計画を立て、頑張っている。

まだまだ、元気だ。なにより明るい。そして強い。

そうはいっても、いつかは一人では生活できなくなることは間違いない。 

そんな話をするうちに、彼女にはお子さんが一人いたことが分かった。
いろいろと事情があったらしい。

そう、人にはいろいろと事情がある。 

離婚するとき、ご主人の実家においてきたとのこと。
お子さんは、当時まだ2歳。

辛かったと言っていた。
そして他によい手がなかったとも。 

その後、ご主人は再婚、お子さんは問題なく育っている。 

彼女には、今さら母親だと名乗る気は毛頭ない。

ただ、おいてきたことについて一言、謝りたい、もちろん許しを請う気もない。

「悪かった、辛い思いをさせてゴメン」そう言いたいだけなのだ。 

このまま、もし彼女が亡くなれば、法定相続人は、このお子さん一人だけである。

彼女は、あと20年は大丈夫だという、90以上は生きると。
そうであって欲しいし、今の彼女を見ると、そうなるのではと思う。

仮に20年先に亡くなって、全く見ず知らずの人から「あなたが唯一の相続人だ」と言われたら、どうだろう。

ほんの僅かの預貯金でも、ラッキーと思うのかも知れない。 

一方で、「ありがとう」という相手は、もうこの世にはいない。

遺言を書きたいというので、戸籍をとった。
その後、一目でも会えないかと、そう考えた。

なんとかしたいと仲介することにした。

コンタクトをとった。

いろいろとやりとりはあった。

結果、上手くいかなかった。

もちろん、可能性がゼロになったわけではない。

今後どう転ぶのか、それは分からない。 

40年の隔たりはあまりにも大きい。

彼女とこのお子さんを客観的にみると、どう考えても赤の他人である。

そして、このまま赤の他人として全く関わらずに生きていく方が良いのでは。

そう思ったりもした。もちろん私が決める事ではない。

今からどうなるかは誰にも分からない。

分かっていることは、

このお子さんが彼女の「たった一人の法定相続人」であるということだけだ。

※フィクションである。