エンディングノート ~思い出写真~ お世話になった人へ「ありがとう」を
お世話になった人はいますか?
ありがとうの言葉を伝え忘れてはいませんか?
エンディングノートには大きく二つの目的があると書きました。
一つは、残された家族が困らないため、
もう一つは、自分自身の人生の棚卸のためです。
「思い出写真」は、自分の歴史を振り返るとともに、
お世話になった人達へ「ありがとう」のメッセージを伝えることを目的として作成したページです。
これをつくった後、私自身がお世話になった人を思い浮かべてみました。
真っ先に浮かんだのは、Sさんというご婦人です。友人のお母さんです。
当時私は学校を中退、将来も見えず、少し落ち込んでいました。
あまり家にも帰らず、よくこの友人のお宅に泊まりこんでいたのです。
Sさんは、そんな私に励ましやの言葉や優しい言葉をかけてくれたわけではありません。
むしろ彼女は何にも言いませんでした。
黙って朝ごはんを食べさせてくれた、ただそれだけでした。
少し柔らかめに炊いたご飯(Sさん宅は農家です)、味噌汁、高菜の油炒め、塩サバ、
どれも本当に美味しかったと今でも思います。
住むところも離れていたので、30年以上もお顔を見る事が無かったように思います。
そこで、「思い出写真」のコーナーを作った際にふと思い立ったわけです。
多分彼女は80歳をゆうに超えているはず、
このまま行くと、風の便りで訃報を聞いて、遺影に向かって「ありがとう」かと。
「それはいけない、生きているうちに伝えねば」とそう思って出かけたわけです。
昨年の6月のことでした。
10年くらい前にガンにかかり全身に転移しているとのことでしたが、とてもそんな風には見えません。
元気そうです。元々明るい性格なのです。
今年にかけてお仕事の依頼もあったので、何度かお邪魔していました。
依頼主を待っているときは
「フジサキさん、今朝の新聞は読んだかね?」と新聞を持ってきてくれます。
打合せが終わり、帰ろうとすると
「もうすぐお昼よ、何にもないけどご飯を食べて行きなさい」と手作りの料理をふるまってくれました。
今年の春で88歳の米寿を迎え、お孫さんが祝ってくれたことがとても嬉しかったと言っていました。
数日前、たまたま野暮用で友人に電話しました。
そして彼女が亡くなったことを聞きました。
今日のお昼が告別式だとも、、、。
大雨のなか彼女に会いに行きました。
行く途中ふと思います。これは、偶然ではないと。
「フジサキさん、最後のお別れよ、見送りに来んかね?」
彼女の意思がきっとそうさせたのだと思いました。
遺影に向かって「ありがとう!」の言葉を伝えました。
そして「またお会いしましょう」とも。